ホツマツタヱとは?

ホツマツタヱとは?

ホツマツタヱとは?

日本で一番古い歴史書は、「古事記」です。
古事記は西暦712年に書かれたと言われています。
そのたった8年後に古事記を改訂した日本書紀が書かれました。

「ホツマツタヱ」とは、
この古事記と日本書紀の元となっている歴史書です。

ホツマツタヱがいつ書かれたものかというと、紀元前2~300年頃と言われています。
縄文時代は文字がなかったとされていますが、このホツマツタヱはヲシテ文字で記されています。

日本の歴史学会の中では、これは偽書である、
とされまだ認められていません。

ですが、ホツマツタヱを学ぶことによって、古事記や日本書紀で意味がわからなかったことが解説されているので、日本の風習や習慣が理解できるようになります。

ホツマツタヱが作成された時期は、縄文時代末期の紀元前2~300年頃です。
作成を指揮したのはヤマトオシロワケ(景行天皇)です。

ホツマツタヱの作成のきっかけになったのは、
この時代、たくさんの渡来人が日本へ渡ってきていました。
そのため日本古来からある風紀が乱れ、言葉も乱れ始めていました。
それを取り締まっていたのが、大物主*1(左大臣)・倭建命(ヤマトタケルノミコト)です。
ホツマツタヱではヤマトタケと言われています。

話は少しズレますが、
三種の神器に勾玉、鏡、剣とあります。
右大臣(大物主)は剣を守る役職。
左大臣は鏡を守る役職。
となっていました。

話を戻します。
倭建命(ヤマトタケルノミコト)のお父さんが、ヤマトオシロワケ(景行天皇)になります。
倭建命(ヤマトタケルノミコト)から相談され、ヤマトオシロワケ(景行天皇)が国の始まりの記紀「ホツマツタヱ」を残すことにしたのです。

この他、右大臣系列のものが書き残した「ミカサフミ」全64アヤもあります。
ホツマツタヱは40アヤの全巻すべてが発見されていますが、ミカサフミはまだ 8アヤ分しか発見されていません。
また、「カクノフミ」の存在は確認されていますが、まだ未発見です。
しかし、「フトマニ」と言う書物が発見され、このフトマニが「カクノフミ」の一部だと考えられています。

「フトマニ」とは、
天上(てんじょう)の高天原(たかまがはら)のサゴクシロ宮に鎮座する四十九神の座席図を五十一文字で表わしたものです。

このようにヲシテ文字で書かれた書物のことをヲシテ文献と言っています。

*1:大物主とは、今でいう警察官みたいな役職。

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